ファッションと、らしさと。

お久しぶりです。

今日は好きなファッションについて

書いてみようと思います。

今、好んで着ているのはこんな感じです。

ヤードバーズ。60年代。ですね。

この当時としてはかなり着崩している

スタイルなのでしょうが

それでもファストファッションに代表される

カジュアル全盛の現代からすると

フォーマルな感じすらします。

さらにググると

こんな画像がでてきました。

ほぼ同時期(60年代前半)のメンズファッション誌の1ページのようです。

同じような服を着ているはずなのに

劣化して見えますね。

同じヤードバーズの別写真。

これが日本だと

こうなってしまいます。

とはいえ、僕も日本人ですので、

諸外国からみれば

同じように見えているのかもしれません。

このまとわりつくような哀しさこそが、

愛らしくもあります。


ところで、現在、

ファッションスタイル自体は

かなり細分化されましたが、

約20年程度の周期で流行を繰り返すと

いわれています。

20年単位で考えると

1960年→1980年→2000年→2020年

となるので、今年あたりはやっと

60年代がリバイバルされるでしょう。

ただ、アイテム単体のブームはあっても、

ムーヴメントアイコンとしての

ファッションの役割は

すでに終わってしまっているのかも
しれません。

ファストファッションの台頭が

それを物語っていますが

おしゃれすぎる人→うざい人、暑苦しい人

という定義がもし生まれているのであれば

それはそれで寂しいなとも思います。


箭内さん!いったい、どこで洋服を買ってるんですか?

(宣伝会議 Adver Times 2016年10月13日 掲載)

クリエイティブディレクターの箭内道彦さんの記事です。


世の中は、“ありのまま”が好きじゃないですか。“さりげない”とか“素顔”とか、“そのままの君で”とか。だけど僕はそうは思わない。ありのままで勝負できるならそれに越したことはないけど、なりたい自分と現在の自分が違うのであれば、そこに近づく、たどり着くための努力をしないといけないんじゃないかと思うんです。

(文中より抜粋)


僕は2009年ごろから2013年ごろまで、

それまで鬱積していたものに敵撃ちを

するかのように

洋服やら、バッグやら、靴やら、指輪やらを

買い漁りました。

総額でいうと500万円は

ゆうに超えているかと思います。


大阪旅行記念にとか言って

20万円くらいのバッグを買ってみたり。

当時購入したものの1、2度ほどしか着ずに

タンスにしまっている服や

捨ててしまったものも数多くあります。

それでもまだ部屋は

服だらけです。


実際、それまでの自分からしたら
とんでもない散財でした。
でも、今になってみれば
それよりも
学んだことが多かった。

箭内さんが言われているように
その時なりたかった自分に
なろうと必死だったんだろうと思います。
少なくとも、
ユニクロのフリースを
二枚買うか、一枚だけにするかで
一日中悩むような人生は
送りたくないと思っていました。
それまでの僕は
どちらかと言えばそういう
人間だったのです。

その時の経験が
自分を完全に変えてくれたわけ
でもありませんが、
少なくとも
人様に「おしゃれですね」と
言ってもらえるようにはなりました。
その意味では、あと十何年かは
楽しく生きるやり方を
見つけられたように思います。

おしゃれでない人を
否定する気はないのですが
結局、僕という存在は
他者の目を通して初めて
認識されるものです。
自分のことは
自分では気づかないし
わからない。

であれば、全てにおいて
おしゃれな人と思ってもらいたいし、
また、
努めてそうありたい。

表現の方法は人それぞれですが
「自分」らしさって、僕は
そういうものじゃないのかなと思います。

ところで
最近、とても気になっているのが
これです。
これ、いいですね〜。
60年代テイスト満載。

残念ながら
メンズはないんですが
同じ柄のジャケットがあったら
ボーナスで買いますね。
多分(笑)









































amuse bouche

湘南ゼミナール 広告宣伝部、広報室のメンバーによる コラムメディアです。 みなさんから 寄せていただいたコラムを 少しづつ、紹介していきます。 日々のクリエイションの中で、 見つけたことや 感じたこと、 考えたことなどを 共有してみませんか。

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